ヴィクトルがいてスケートができたらそれだけで Side Y

「勇利」
「…何、ヴィクトル」
早く滑りたいなーと思いながらヴィクトルの方を見る。
「明日はオフだからね」
「……」
「そんな顔してもダメだよ。大会が近いからと休息を疎かにすることはコーチとしては認められない」
「…わかってるよ」
そんな顔…そんなに僕分かりやすいのだろうか…。
デトロイトにいた時も同じようなことをチェレスティーノに言われていた。まぁ僕が何回も守らないから次第に言われなくなった。ただ許容範囲を超えたら強制的にオフになったりしていたから、チェレスティーノも許容範囲ギリギリまで何も言わずに僕を見守ってくれていたのだと今なら分かる。今度チェレスティーノに会ったらお礼言っておこう。
「勇利、明日は何も用事入れないでね」
「用事?特にないけど…何かあった?」
あれ、僕何かあったの忘れてたかな…。大会が近いといろいろと疎かにしてしまうことも多いからないとは言い切れない。
「特に何もないけど、用事は入れないで。いいね?」
「うん、わかった」
時々、ほんとに一瞬ヴィクトルは僕のことを捕食しようとするかのような視線で見てくる時がある。
「じゃあ、少し滑りながら昨日の続きから」
「はい!」

ごめんね、ヴィクトル。今日も何回もフリップ飛んでもらって…。でももう少しで掴めそうなのに掴めなくて悔しい。
ふとヴィクトルが目を離した隙にフリップ飛んだりしてるんだけど、回りきっても手をついてしまったりとなかなかうまくいかない。
「ほんと、勇利は体力あるね…」
「ヴィクトルもあるでしょ?」
「勇利ほどじゃないよ…」
そうかな?確かに僕の方が体力あるのかもしれないけど、ヴィクトルだって体力ないとあの難易度を滑りきることは難しいはずだ。そこまで気にしなくてもいいと思うけどなぁ。
「ふー…勇利、そろそろ終わりの時間だ。水分補給」
「うん」
「…勇利、汗」
「ん」
最近はヴィクトルに汗を拭ってもらうことにも慣れた。最初はびびってかなり慌てたよ…。でも、こうやって甘えるとヴィクトルって嬉しそうに笑うんだ。それが僕も嬉しくてつい甘えてしまう。分かってる、ファイナルが終わればこうしてもらうことももうなくなる。ロシア大会でコーチとしてのヴィクトルのいない試合を経験して思い知った。だからあともう少しだけ…。
「ヴィクトル?」
「ん?どうした?」
「え、いや…じーっとこっち見てるからどうしたのかなって」
「ああ、勇利はかわいいなと思って」
「かわいいって…男に言う言葉じゃなくない?いや、うん…ヴィクトルに言われるの嫌いじゃないけど…」
かわいいってヴィクトルに言われるのは嫌いじゃない。でも、やっぱり僕はかっこいいと思ってもらいたい。どうすればかっこいいと思ってもらえるんだろうか…。
「ねぇ、勇利」
「何?…ひえっ」
ヴィクトルにいきなり抱きつかれた!ハグに慣れたと思ったけどいきなりはやっぱりまだ慣れない。
「今日、一緒に寝たい」
「え、う…え?……」
「ダメ?」
ねぇヴィクトル、そんな僕を口説くかのような口調と視線やめてよ…。僕勘違いしたくない。ファイナルでお別れするために心の準備をしながら毎日練習してるんだよ?これ以上は…。
「………」
「勇利〜…」
「う…い、いいよ」
「ふふ、ありがとう。夜楽しみだなー」
「もうっ、ヴィクトル強引なんだから!ちゃんと服着てよ」
「うんうん、分かってるよ」
そうは言ってもこういう時のヴィクトルに勝てない僕も僕である。もうファイナルまで時間がない。僕だって最後までヴィクトルと一緒に寝たりしたい。だけど、毎日一緒にって言うには僕にとっては少しハードルが高いのだ。
「ふふ、そろそろ帰らないとね」
「もう少し練習したいんだけどな」
「ダメだよ、勇利。この前も俺が目を離した隙にランニング行ってただろう」
「うっ…だって」
「勇利」
「……分かってる」
僕が少しガッカリしているのが分かっているのか、ヴィクトルにふふっと笑われた。だって、ランニングでもしないと考えてしまう。もうすぐヴィクトルとお別れだってこと。さよならは僕だって言いたくない。でももうヴィクトルを返さないといけない。
「そんなに笑うことないだろ」
「拗ねた?ごめんね、勇利」
「もー…」
だから、絶対ファイナルで金メダルを取るよ、ヴィクトル。
ヴィクトルがコーチになってくれたことは無駄じゃなかったと、僕が証明する。
ファイナルまであともう少し…。

***

「ここはやっぱりもう1拍置いた方がきれいかな」
「んー…そうだね、そっちの方が流れとしてはいいね。明後日またこの部分滑ってみようか」
「はい」
ロシア大会から帰ってきてから、僕とヴィクトルはそれまで以上に一緒にいることが格段に多くなった。マッカチンが無事で本当によかった…。僕も、ヴィクトルのいない試合を経験してヴィクトルから離れられなかった。帰ってきた日、僕はヴィクトルのベッドで一緒に寝た。ヴィクトルの体温があったかかった。
「あれ、もうこんな時間」
「…そうだね、話し込んでいたら時間過ぎるのは早いね」
明日はオフとはいえ、夜更かしはあまりよくない。しかし、ヴィクトルはもう少し起きていたいみたいだ。
「…う〜ん」
「やっぱり今日やったところが気になる?」
「うん、今日はまだ調子よかったけどステップがちょっと気になる、かな…」
「じゃあそこも明後日滑ろうか」
「はい」
「………」
「ヴィクトル?」
「誕生日おめでとう、勇利」
「えっ……あ、今日か」
あ、そうか今日は11月29日…僕の誕生日だ。ファイナルの事とかヴィクトルの事で頭いっぱいですっかり自分の誕生日のこと忘れてた。にしてもヴィクトルってあまり他人に興味持たなそうなのに僕の誕生日知ってたんだ?
「勇利のこと、一番に祝えてうれしい」
「こっちこそ、ヴィクトルありがとう」
「………」
「んっ……ヴィクトル?」
ん?んん?僕、何でヴィクトルにキスされたんだろう…。でも、いいや…ヴィクトルの唇柔らかかったな…。
「勇利、はいプレゼント」
「ん…プレゼントも用意してくれたんだ?ありがとう」
「……リクエスト券?」
「今日一日何でも勇利の言うことをきくよ。滑ってほしいってリクエストでもいいし、一緒に何か食べたいだとか」
「…いいの?」
「ああ」
「え、えっと、それじゃあ…」
「わお、早速何かあるのかい?」
せっかくヴィクトルがくれたチャンスを逃すともう言えないかもしれない。
「…あのさ」
「うん?」
「……ファイナルまで、毎日一緒に寝て、くれませんか?」
「………」
「ダメ、かな?」
「…いや、こちらこそお願いしたかったことだ」
「ほんと?よかったぁ…前から言いたかったんだけどタイミングがつかめなくて」
よかった…ヴィクトルが黙ったままでもしかして迷惑かなって思った…。離れがたくても、ヴィクトルが分けてくれた思い出を胸のうちに仕舞い込もう。
「…ヴィクトルあったかいね…」
「人の体温は安心すると言うからね…そろそろ寝ようか」
「うん…」
「おやすみ、勇利」
「おやすみ…」
ヴィクトルがくれたものたくさんあるけど、このヴィクトルのあったかい体温はずっと忘れないよ。

「あ、ヴィクトル」
「ん?何か思いついたのか?
「…一緒にカツ丼食べたいんだけど、今日だけ特別許可もらえませんか?その分明日がんばるから」
「本当はダメ…と言いたいところだが、いいよ。今日だけ特別」
「やった!…板前さんに言ってくるね!」
おそらくファイナルが終わったらヴィクトルは復帰する。もうカツ丼を一緒に食べることができないかもしれない。だから許可してくれてよかった。
板前さんもヴィクトル先生の許可が下りたならいいぞ、と夜にカツ丼を出してくれるって。
「あ、勇利」
「あれ、真利姉ちゃん?」
「あたし、ミナコさんと一緒にファイナル見に行くから」
「えっ」
「…あんたの考えはお見通しだよ。ミナコさんもね」
「真利姉ちゃん…」
そっか…僕がファイナルで引退するつもりだって2人は分かってたのか…。
「だから、金メダル取りなさいよ」
「…うん、取るよ」
真利姉ちゃんはふっと笑ってひらひらと手を振って仕事に戻っていった。
それから僕もヴィクトルのところへ戻った。

「夜にカツ丼頼んできた。楽しみだな〜」
「うんうん、勇利と一緒にカツ丼食べるの俺も楽しみだよ」
「うん!」
「他は何かある?俺にしてほしいこととか」
「う〜ん…」
今日は一応オフだから言っていいものなんだろうか…。ヴィクトルだって休みたいだろうし…う〜ん。
「…リクエストあれば滑るよ?衣装はこっちにある分なら着るし」
「えっ、ほんと!?…じゃあ滑ってもらいたいプロがあって…」
「OK、準備しようか」
「うん」
さっそくアイスキャッスルにいる優ちゃんに電話してみる。
「…はい、アイスキャッスルはせつの西郡です」
「あ、優ちゃん?」
「勇利くん!誕生日おめでとう!」
「ありがとう。…ちょっとだけリンクって空けられるかな…?」
「えっとね……14時からなら1時間空けられるけど1時間でも大丈夫?」
「うん、1時間あれば大丈夫」
「じゃあ予定入れておくね!…もしかしてヴィクトルに滑ってもらうとか?」
「え、あれ優ちゃん知ってたの?」
「ふふ、ヴィクトルが相談しに来てね。挧流が肩たたき券みたいなものでもいいんじゃないかって言いだして。説明したらヴィクトルがそれいいね!って言ってたからそういう券みたいなの渡したんじゃないかなって思って」
「へぇー…。まぁリクエスト券渡されたんだ」
「あ、何でも言うこと聞くってことなのね」
「うん、それで…あのヴィクトルが19歳の時の名プロを衣装付きで…」
「19歳って…あの名プロ!?」
そう興奮したように言った優ちゃんの後ろで驚いたのか「おわっ!」と西郡の声が聞こえた。
「う、うん」
「…勇利くん、衣装着たヴィクトルは見てもいい?」
「え、全然いいと思うけど…?」
「勇利くんのためだから私見てもいいのかなって」
「うん、いいよ?」
「ありがとう、勇利くん…!」
優ちゃんも相変わらずだなと思いながら電話を切ると、準備が終わったヴィクトルが不思議そうに首を傾げていた。

「「ふぁあ〜…」」
「…勇利はともかく優子」
「だって!だってあの名プロの衣装着てるヴィクトルだよ!?ね、勇利くん!」
「うん…もう、もうやばか〜…」
「あはは、2人ともそういうところ似てるね」
昔、西郡にもそういう時の2人の顔似てるなって言われたことある。
「…はぁ…ほら優子」
「うん…じゃあ私たちは出てるからね」
「ありがとう、2人とも」
「勇利、今から滑るけど写真は撮らなくてもいいのかい?」
「大丈夫…目に焼き付けとくから」
僕のために滑ってくれるけれど、これは目に焼き付けて記憶するべきだと僕は思った。あ、でも1枚だけ優ちゃんたちといた時に撮ったけどね。
「そうかい?…じゃあ」
「うん…」

「は、はぁ…」
「………」
「ふー……勇利?」
「あの名プロ、目の前で見れるなんて…」
「ははっ、お気に召していただけたかい?」
「はい…」
ああ、あの名プロを目の前でじっくり見る日が来るなんて思わなかった…。僕もヴィクトルと滑りたい…。
「ふふ、勇利大丈夫かい」
「うん、大丈夫…。ふぁ〜…」
「勇利、この後はどうする?」
「う〜ん…昼寝したい、かな。ヴィクトルもオフなのに滑ってくれて疲れてるだろうし…」
「俺の心配してくれてありがとう。そうだね、じゃあ帰って昼寝だね?」
「うん」
優ちゃんと西郡にお礼言って僕たちは家に帰る。帰り道、こうして話す時間もいいものだと思った。
あ、そうだ。真利姉ちゃんのこと一応ヴィクトルにも言っておこう。
「あ、真利姉ちゃんがね」
「マリ?」
「うん、ミナコ先生は来るだろうなって思ってたんだけど」
「ん?もしかしてファイナルのこと?」
「うん、真利姉ちゃんも行くって今日聞いて…珍しいなと思って」
僕は、自分がスケートばかりでゆ〜とぴあかつきのことをマリに任せきりにしていること、試合を見に来てくれることもノービスの頃ぐらいでジュニアに上がる頃からは家の手伝いで来れなくなったことをヴィクトルに話した。
この時、僕が引退するつもりだって2人が分かってることは話していなかった。グランプリファイナルで金メダルを取るというヴィクトルの最初の言葉から、ヴィクトルも分かっているものだと思っていたからだ。
「でも、勇利は嬉しくないの?」
「ううん、久しぶりに真利姉ちゃんに見てもらうから金メダル取らないと」
「うん、その意気だよ勇利。…それじゃあ、昼寝する前に温泉入らない?」
「あ、うん。入ろっか」

***

「はぁ〜…カツ丼…」
「勇利おいしい?」
「うん、おいしい…」
「ファイナルで金メダル取ったらまた一緒に食べようね」
「…うん」
そうだね、一緒に食べれたらいいね…。ヴィクトルは長谷津に帰ってくるつもりでその後の復帰を考えているんだな…。

「寝るまでまだ時間あるけどどうする?」
「んーいつも通りしゃべったりとかいろいろ…でもいいかな?」
「いいよ、勇利は何の話がしたい?」
「えっとね…―」

「…あのステップの後のスピン、僕もその時優ちゃんと滑ったりしてたんだ」
「ユウコと一緒に俺の完コピとかしてたんだってね?ミナコが言ってたよ」
「完コピなんてとんでもない!でも楽しかったな〜」
ヴィクトルといろいろな話をしながら自然と足はヴィクトルの部屋に向く。あ、今日から毎日一緒にヴィクトルと寝るんだ…。
「―それでその時ピチットくんがね…ヴィクトル?」
「…勇利」
「…んっ!」
「…ふふ、それで?」
「…えっあっ…うん、ピチットくんが―」

「うんうん、そういうことは俺もあったよ」
「やっぱりヴィクトルも?そうだよね、僕も初めて行く会場は勝手がわからなくて慌てちゃうんだよね」
「そうそう」
「よかった、僕だけじゃなくて…。あ、もう10時半か」
明日からまた練習の日々だ。夜更かしは厳禁だ。
「そうだね…そろそろ寝ないといけないね」
「うん…。ヴィクトル今日はありがとう、いろいろ話聞いてくれて」
「リラックスできた?リクエスト券なんてものでいいのか俺も随分悩んだよ」
「今日一日楽しかった!あの名プロも見れたし…」
「カツ丼も食べれたし?」
「うん!」
「よかった。…明日からまたがんばろう」
「はい、お願いします」
「それじゃ、おやすみ、勇利」
「おやすみ、ヴィクトル」

ヴィクトル、最高の誕生日をありがとう。この8か月の思い出を胸にファイナルで金メダル取るよ。そして僕は…。

Side V

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